裏紙に書くようなこと

文章を書く練習

安全第一が幻だった話

 安全第一を掲げている会社や団体は多くあると思う。僕の会社もその中の1つだ。その解釈について、会社は良いことを言っているなと思っている。それは、「仕事に集中するための安全は、当然のように保証されている状態」とされている。要は、現場は安全に気にせず仕事に集中してください、安全についてはトップが責任を持ちます、ということだ。もちろんこれは理想的な話で、実際の現場にはたくさんの危険がある。だからトップダウンで見回りをしたり、ボトムアップで現場の改善活動をする必要がある。大切なのは、安全はトップに責任があることを明確にすることと、その責任のもと、現場と一緒に双方向で改善していく意思疎通だと思っている。
 今回、新型コロナウィルスの対応で、そんな安全第一の解釈は全くの幻だったことがわかってしまった。新型コロナウィルス感染防止のため、外出を自粛する、3密を避ける、可能な限り在宅勤務をする、などが要請されている。緊急事態宣言の対象地域はもちろんのこと、それ以外の地域でもその方針はできる限り実行した方が良いと考えている。しかしながら僕の所属先は、緊急事態宣言の対象地域外であるため、通常通り操業する、という宣言が早々になされた。また、この3月までチャットすら導入できていなかったのに、急にTeamsを入れて、「IoTを駆使して生産性を落とさないように」という指示も下りてきた。そして感染については、安全第一で各自気をつけて、とのことである。これは、会社の活動を落とさないために可能な限り危険に飛び込むようにと言われている気がして憤っている。このように僕が感心していた安全第一の解釈は、全く幻だったようだ。
 こういう時に必要なのは、安全を可能な限り落とさずに、会社活動を続けることではないのかと思う。新型コロナウィルスに対して安全を保証することは誰にもできないが、やれることはすべてやらなければいけない。会社活動の方は、一時的に縮小したとしても、続けていればなんとかなることの方が多いと思う。それを、これまで通りの規模で無理して継続するのは大変で、特に現場の心理的不安が大きすぎる。更衣室に密集しないようになど、感染予防のための対策が、全て手前味噌に見えてしまうのである。
 では具体的にどうするのが良いかは、もう少し考えて別に書きたいと思う。何年後かの自分のために。