裏紙に書くようなこと

文章を書く練習

子供への愛着の話

子供が生まれてからあっという間に1年が経った。最近ではこちらがわかる意思表示をしてくれるようになり、意思疎通の面ではずいぶんと楽になったように思う。その分、あれやれこれやれが増えてきて、体重も体力も増してきたので、対応するのが大変だ。

しかしながら、意思疎通ができるようになるとずいぶんと愛着が湧くようになることにも気付いた*1。新生児のときは泣くことだけが意思表示だ。お腹がすいたやおむつが濡れただけでなく、暇だから泣くということもあるらしい。とは言えこれらの意思は、一応「泣く」という形で表に出てくるからまだわかりやすい。僕が戸惑ったのは「無表情」や「無反応」だ。

こちらがおもちゃを渡したり絵本を読んでも無反応というのは、とても虚しさを感じてしまう。もちろん相手は赤ちゃんだから、期待通りの反応が返ってこないことは頭でわかっている。しかしながら、何度やっても反応が返ってこないと、心が折れてしまう。心が折れるなどというのではなく、単に飽きてしまうと言ったほうが正しいかもしれない。

そうこうしているうちに子供は成長し、ハイハイをして立ち上がり、歩き回るようになった。動き回るということは、同時に意思が出てきたということだと思う。少なくとも我が子は縦横無尽に動き回り、少しづつだけど行きたい方向というのも明確になっていった。

動くということは意思の表現なのかもしれない。見たいものや触りたいものには近づくし、身振り手振りで感情表現もできる。意思が伝わる方法がわかれば、ますます表現するようになる。その連鎖を見ているのかもしれない。相手に伝わることは嬉しいだろうし、こちらも子供の意思を汲み取ることができるのは嬉しい。そういう感情が今の愛着の元になっていると思う。

*1:もともと愛着はあったことをここにことわっておく