手段を目的化したくない話
指差し呼称、いわゆる指差喚呼が社内で義務付けられた。「〇〇、ヨシ!」と言って指を差すあれである。社員全員必ず実施すること。100%実施が必達目標である。
この指差し呼称の方法を書いているサイトが結構ある。起源についてはWikipediaに書いてある。
指差喚呼(鉄道での読みがなは「しさかんこ」)は、そもそも日本国有鉄道(国鉄)の運転士が行う信号確認の動作に始まった安全動作である。
- 目で見て
- 腕を伸ばし指で指して
- 口を開き声に出して「○○○、ヨシ!」
- 耳で自分の声を聞く
という一連の確認動作を注意を払うべき対象に対して行うことにより、ミスや労働災害の発生確率を格段に下げることができることが証明されている。
要は、目で確認、指で確認、発声で確認、耳で確認を順に行う、4重チェックでミスを減らすための方法と解釈できる。この方法は、厚生労働省のWEBページにも書いてある。
一方、特に意識しないと、確認の対象に向かって指を差すと同時に、「ヨシ!」と言ってしまっていないだろうか。僕は上の方法を教わるまではそうしていた。これは目で確認と指で確認が同時になり、何がヨシ!なのか本人が認識できていない可能性がある。また、ミスを減らすための4重チェックである、という背景を理解していないので、指差し呼称さえすればミスが減るという、安易な解釈に陥ってしまわないかと思う。大切なのは、「ミスを減らすために正しい動作がある」という、目的と動作を正しく理解することだと思う。
ということで、やるからには正しく理解し正しく実行したい。そのための周知は怠ってはいけない、ということを実感した事例であった。そうでなければ、手段が目的化する典型例になるんだろうなと思った次第である。